「そもそも「バカラ」に戦略があるのか?」
そういう根本的な疑問は前々からある。あるにはあるが<人間は考える葦である>
つまり考えるように出来ているんだ、どうでもいいことを
(否そんなことはないか・・)
ここはわたくし飛葉が自分の金使ってバカラ台に座った思いを、日本に帰った今ぽつぽつと綴ってみたいと思う。
何故負けたか、なぜ勝ったかを
バカラに臨むにも出来ることはある(はず)
ささやかではあろうけど、「バカラ台」につきやれることはゼロでは無い。
それを信じなかったら金など張れん。
その「ささやか」なものが「明」と「暗」を分けるのだろう。
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バカラ負けた理由
◯ 資金を用意せず不用意にカジノに踏み込んだ
◯ 自分のペースではない、違和感を感じつつもそのまま打ち続けた
◯ 周囲の気配を感じ取らず<場>にただ身を委ねた。
思いつく限りこんなところだろうか。、<場>が合わない時は席を立たねばならなかったんだ。
それを勝負の一環と勘違いし動かなかったのが大きな間違いのもと。
これは勝ちが見えそうな時も同じだ。ただし早ければいいというもんでも無い。
それでは勝ちを拡大化出来ないしなぁ。。
それと散歩のついでにフラッと打ったのもいかんな。あれはいかん。
バカラ勝てた理由
勝てたというには大げさかもしれないが、いくばくかの金を持って帰れた夜もあった。
それがなんだったのか? どこで明と暗に分かれたのか・・
◯ ツラを張った
◯ 資金管理が予定どうりに出来てた
◯ その日は運が向いてた
◯ その運を勇気を持って掴んで拡大することに成功した
こんなとこだろうか?
「負けた理由」と比べてあっさりしたもんだ。それだけ大して理由なんか無いってことなんだろう。
ただ運にその大半を委ねねばならないとしても、<人知>を尽くす隙間はあるということだ。
丁半博打のバカラとは言え考え打てる手は僅かではあるがある。
「人間は考える葦である」
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